熊本城の歴史は?戦国武将加藤清正と地震について

九州を代表するお城の一つ、熊本城。

この熊本城にはどんな歴史があるのでしょう?また、熊本城を改築した戦国武将加藤清正についてと熊本城と地震の関係について書いていきたいと思います。

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熊本城の歴史

日本三名城のひとつ、熊本城。(他は名古屋城と姫路城 あるいは 名古屋城と大阪城)

現在私たちが見ている熊本城は、かつて茶臼山(ちゃうすやま)と呼ばれた丘陵地に、加藤清正が1591年(天正19年)から1607年(慶長12年)までかけて築城したお城です。ちなみに、「熊本」という名はもともと「隈本」。加藤清正がお城完成の祝いに現在の表記に変えました。

清正以前にもこの一帯には中世城が存在していました。この地域で記録に残る最古のお城は、室町時代の1467年(応仁元年)から1469年(応仁3年)に菊池一族の出田秀信(いでたひでのぶ)築いた千葉城です。

現在の熊本城の初代城主は加藤清正ですが、清正の子の忠広の代に改易(身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること)により、細川忠利が肥後54万石の領主となり熊本城に入りました。

細川忠利は父方祖父が細川藤孝、母方祖父に明智光秀を持ち、文武両道の武人でした。

また、たいそうな気遣いができる人でもあり、国入りでは行列の先頭に清正の位牌を掲げ、熊本城入城の際には大手門で深々と丁寧に拝礼し、天守に登っては清正の眠る本妙寺(ほんみょうじ)に向かい頭を下げたと伝えられています。

現在でも熊本と言えば加藤清正であり、清正を愛する人が多いのは、この細川忠利の気遣いからくるとも言われています。

1700年代半ばには、藩校「時習館」を二の丸に設立します。家臣の教育機関として作られたものですが、優秀な庶民の子も受け入れられたと言われています。続いて医学校「再春館」も建てており、熊本の文武両道・質実剛健の気風を育てたとも言われています。

明治期には、西南戦争での政府軍の重要拠点となります。西郷隆盛率いる旧薩摩藩士族は誰一人として熊本城に入場することができなかったようで、ここで熊本城が名実ともに難攻不落の名城であることが証明されたと言えます。

2006年(平成18年)、日本100名城に選定されます。

2016年(平成28年)、熊本を襲った相次ぐ大地震で、瓦の落下、国重要文化財の東十八間櫓などの一部が崩れたりなど大きな被害を受けました。

熊本城を建てた加藤清正

現在の熊本城を建て、今でも多くの人に愛される武将加藤清正は、もともとは刀鍛冶の息子でした。1562年、尾張国愛知郡(今の愛知県名古屋市中村区)で生まれました。父は幼いころに亡くなります。母は鍛冶屋清兵衛の娘・伊都、豊臣秀吉とは血縁関係にあり、母親が従姉妹同士だったという説もあります。

豊臣秀吉の子飼いの家臣。最初は近江長浜城主になったばかりの秀吉に小姓として仕えますが、秀吉の血縁ということで将来を期待され、また清正自身もそれに応え、生涯秀吉に忠誠を誓いました。また、子どものいなかった秀吉の正室おねにも大変可愛がられたといわれています。

初陣は不明ですが、1582年の本能寺の変では黒田官兵衛らと秀吉に従い中国大返しを行い、山崎の戦いに参戦します。

1583年の柴田勝家との戦い、賤ヶ岳の戦いでは敵将・山路正国を討ち取るという武功をあげ「賤ヶ岳の七本槍」と言われるようになりました。(他の6人は福島正則、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)

文禄・慶長の役では主力として、朝鮮へ出兵し7年間戦い続けました。

秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、石田三成との確執から東軍につきます。ただ、家康側についたとはいえ、豊臣家に対する思いは強く、1611年(慶長16年)に二条城で秀吉の遺児秀頼と家康との会見を成功させています。

清正が亡くなったのはこの直後。二条城会見から帰国する船の上で発病し、その後熊本城で亡くなっています。旧暦の6月24日、誕生日と同じ日付に亡くなっています。

清正は治水等の土木技術を得意とし、藤堂高虎や黒田孝高と並ぶ築城の名手ともいわれ、熊本城の他に名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の城にも携わっています。

熊本城と地震

2016年4月14日の夜中に発生した地震に端を発する熊本の連続大地震、じつは熊本には過去にも大きな地震に見舞われています。

○1619年5月1日(元和5年3月17日)熊本の八代で地震、推定マグニチュード6.0~6.2

○1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本で地震、推定マグニチュード5.0~6.0

熊本城の火薬庫が爆発、天守付近の石壁、城中の石垣に被害。死者約50人。

○1707年(宝永4年10月28日)推定マグニチュード8.6

○1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震、推定マグニチュード6.5

○1854月(安政元年12月24日)推定マグニチュード8.4

○1889年(明治22年7月28日)熊本地震、マグニチュード6.3

近代的な観測が導入されて初の年を襲った地震、熊本城も大きな被害を受ける

○1894年(明治27年8月8日)熊本県北部で地震、マグニチュード6.3

○1895年(明治28年8月27日)熊本県北東部で地震、マグニチュード6.3

○1907年(明治40年3月10日)熊本市を中心に地震、マグニチュード5.4

○1946年(昭和21年12月21日)マグニチュード8.0

○1968年(昭和43年2月21日)えびの地震、マグニチュード6.1

○1975年(昭和50年1月23日)蘇山北縁を中心とした地震、マグニチュード6.1

こうしてみると、熊本に地震が100年に2~4回ずつ起こっていることが分かります。

まとめ

2016年4月に発生した地震によって被害に遭われた方にお見舞い、お悔やみ申し上げます。
まずは人命救助を第一に。私たちもできることをしたいですね。

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